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【2025/06/06 00:12 】 |
孫子説
・孫子説

『孫子も兵法』13編の用間編に忍術についての記述がsunzi.jpg

ある。また、他の軍書や兵書にも同様に載っている。もし

、忍術が用兵においてそれほど重要でないのなら、どう

してこんなにも記述があるのだろう。ただし、中国では

「忍び」と呼ばず「間」もしくは「諜」さらに「細作」「遊偵」

と呼ばれており、これが忍びのことだという。
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【2009/01/22 21:18 】 | 始まりの忍者 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
徐福説
・徐福説

織田信長の伊賀攻めを記した『伊乱記』には、「上代より伊賀imgf70cb5e5zikfzj.gif

の遺風とて、そのいにしえの、御色多由也より諜術を伝えて」

とある。この“御色多由也”という人物が“徐福”であるという。

徐福とは、秦の始皇帝に仕えた道士で、始皇帝の命により、

はるか東海の蓬莱国にあるといわれた不老不死の霊薬を探

しに日本に渡った人物であるしかし、山野をめぐっても霊薬を

見つけることができずに、引き連れてきた若い男女と共に日

本に帰化した。この時、製紙や仙術など日本に伝えたものの

一つに忍術があるのだという。
【2009/01/21 21:31 】 | 始まりの忍者 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
古代中国説
・古代中国説

忍者伝書『萬川集海』では、忍術を「伏義帝より始まり、koutei.jpg

軒轅黄帝、推し弘めたまう」としている。中国史でも、神話

部分に入るほど超古代の話である。もちろん、権威づけの

ための誇張であることは確実だが、戦国時代にもこのこと

を主張していた組織は存在した。上杉氏が使っていた忍者

集団は、軒猿(のきざる)というが、これなど軒轅黄帝から

取られた名前だと思われる。
【2009/01/21 00:46 】 | 始まりの忍者 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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