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・古代中国説
忍者伝書『萬川集海』では、忍術を「伏義帝より始まり、 軒轅黄帝、推し弘めたまう」としている。中国史でも、神話 部分に入るほど超古代の話である。もちろん、権威づけの ための誇張であることは確実だが、戦国時代にもこのこと を主張していた組織は存在した。上杉氏が使っていた忍者 集団は、軒猿(のきざる)というが、これなど軒轅黄帝から 取られた名前だと思われる。 |
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・城戸弥左衛門(きどやざえもん)
「萬川集海」の中の伊賀忍術名人十一人の一人。伊賀音羽を本拠とし、音羽の 城戸とも呼ばれていた。二度も信長を狙撃したとされている。一度目は石山本 願寺攻めの時であり、二度目は天正伊賀の乱の時である。しかし信長の運が 良かったのか二度とも失敗し、配下の裏切りで捕まってしまう。一度は脱走した が、逃げ切れぬと知って自害した。 |
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・杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)
甲賀の名門「甲賀五十三家」のひとつに挙げられる、杉谷家の出身。甲賀随一の鉄 砲射撃の名人だった。善住坊の鉄砲は、鉛玉を二発込めた“二つ玉”という鉄砲であ ったという。「常々翔鳥を外さず打ち取る者」といわれていた善住坊が六角義賢に依 頼され、織田信長を狙撃したことで有名である。しかし狙撃に失敗し、逃げ延びたが 後に捕まり、信長に極めて残忍な刑を受け命を絶った。 |
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