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・熊若(くまわか)
武田信玄の重臣・飯富虎昌に仕えた甲斐の透波(忍者)。早駆けの達人で、第四次 川中島の戦いの直前、虎 昌は軍機を忘れて来たことに気づき、熊若に往復六十四 里を取って来させたが、なんと二時で戻ったという。約256キロメートル、を4時間で 走破したことになる。その後、信玄秘蔵の『古今和歌集』盗難の嫌疑を掛けられたが 、真犯人の加藤段蔵を捕まえ無実を証明してみせた。 PR |
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・山田八右衛門(やまだはちえもん)
『萬川集海』に名を残した、忍術名人十一人の中の一人。本姓は瀬登だが、伊賀の 山田に住んだことから山田と称した。数多い忍術のなかで、「双忍術」を得意とした。 双忍術とは、複数の忍者が同じ服装をして敵を欺いたり、二人の忍者が組んで忍び 込む技を指す。その中でも八右衛門は変装術に秀でていた。 |
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・伊賀崎道順(いがさきどうじゅん)
伊賀楯岡の出身から楯岡道順とも称した。『萬川集海』の中で、忍術名人十一人の 一人に挙げられている。その他にも、伊賀流忍術四十九流の一つ、伊賀崎流の祖 とする説もある。「妖者という術」名の変装術にたけていた。 |
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・果心居士(かしんこじ)
松永久秀や豊臣秀吉も手玉に取った、忍者というより は幻術使いである。戦国持代末期、畿内・大和の出身 だとされている。少年時代に高野山で修業し、真言密 教系の幻術を体得したという。久秀や秀吉を幻術で恐 れさせ、秀吉の場合は秘事を暴いて逆鱗にふれ磔に された。が、処刑の寸前ネズミに変じて縄を抜け、その 後飛来したトビに掴まれていずこともなく姿を消した。 |
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・黒田如水(くろだじょすい) |
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