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・杉原盛重(すぎはらもりしげ)
山陰地方で活躍した吉川元春の片腕、智謀に優れ思慮深い 名将であった。配下に多数の忍者を従え、諜報活動に当たら せていた。山中鹿之助のライバルであったとも名高い。 泉山城主として、忍者の棟梁として、家臣団の多くには志に燃 え膂力に優れた野武士や山賊、海賊・忍び崩れなど実践経験 豊富な者を召し抱えた。 PR |
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・風魔小太郎(ふうまこたろう)
相模の忍者集団・風魔一党の頭目で代々風魔小太郎を 名乗った。その中でも天正年間の小太郎は、二百人もの 配下を率い、身の丈七尺二寸(約2.2M)という大男で、 福禄寿に似た長頭、濃い髭のうえに大きく裂けた口からは 複数の牙が突出していたという。しかし北条氏亡き後は、 江戸で盗賊集団となるが、同じ忍者上がりの盗賊向坂陣 内に密告され処刑された。 |
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・雑賀孫市(さいがまごいち)
鉄砲部隊を統率した紀伊北部の謎多い上忍。本名は鈴 木孫市重秀ともいい、雑賀衆の鈴木左大夫を父に持つと いわれている。織田信長の石山本願寺攻めでは、一向 門徒側につき鉄砲隊を率いて信長を散々苦しめている。 種子島で射撃を体得した、紀伊の津田算長に弟子入りし 、砲術や忍術の奥義を授かったとの見方もある。 |
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・藤林長門(ふじばやしながと)
伊賀の三上忍の一人。東湯舟城を本拠として、伊賀 北部を治めた。百地丹波と同一人物という説もある。 子孫の一人藤林保武が執筆した『萬線川集海』は忍 術書の最高傑作との評価が高い。 |
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・花と火の帝 上下 隆慶一郎 講談社文庫 ★★★★★
後水尾天皇は十六歳で即位するが、徳川幕府の圧力で 二代将軍秀忠の娘、和子を皇后とすることを余儀なくされ る。「鬼の子孫」八瀬童子の流れをくむ岩介ら“天皇の隠 密”とともに、帝は権力に屈せず、自由を求めて幕府の強 大な権力と戦う決意をする。・・・筆者の絶筆となった、構 想宏大な伝記ロマン。 猿飛佐助・霧隠才蔵らも登場し、呪術使いの頂点が天皇と いう設定も大変興味深い。未完であることが残念である。 |
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