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・城戸弥左衛門(きどやざえもん)
「萬川集海」の中の伊賀忍術名人十一人の一人。伊賀音羽を本拠とし、音羽の 城戸とも呼ばれていた。二度も信長を狙撃したとされている。一度目は石山本 願寺攻めの時であり、二度目は天正伊賀の乱の時である。しかし信長の運が 良かったのか二度とも失敗し、配下の裏切りで捕まってしまう。一度は脱走した が、逃げ切れぬと知って自害した。 |
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・杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)
甲賀の名門「甲賀五十三家」のひとつに挙げられる、杉谷家の出身。甲賀随一の鉄 砲射撃の名人だった。善住坊の鉄砲は、鉛玉を二発込めた“二つ玉”という鉄砲であ ったという。「常々翔鳥を外さず打ち取る者」といわれていた善住坊が六角義賢に依 頼され、織田信長を狙撃したことで有名である。しかし狙撃に失敗し、逃げ延びたが 後に捕まり、信長に極めて残忍な刑を受け命を絶った。 |
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・望月出雲守(もちづきいずものかみ)
平将門の乱で活躍した伝説的英雄、甲賀三郎の子孫といわれる。煙術を得意とし、 甲賀忍者の名を天下に轟かせた「鈎の陣」の戦いで功績をあげた。「伊賀服部に甲 賀望月」という言い回しがあるように甲賀屈指の名家である。甲賀市甲南町竜法師 に望月出雲守の屋敷が現在まで残っており、甲賀流忍術屋敷として一般公開され ている。 |
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・諸澄九右衛門(もろずみきゅうえもん)
甲賀出身の忍者で、武田の埋蔵金の一部を探し出したとして知られている。また 織田信長を狙撃した、杉谷善住坊の兄ともいわれている。本能寺の変が起き、機 内にいた穴山信君は落ち武者狩りで打ち取られてしまう。その時信君を捕えたの が九右衛門であった。その時信君の懐中から、埋蔵金の在り処を記した手稿を手 に入れた。後に昔の仲間に殺されてしまうが、埋蔵金が巨額であったため一部しか 運びだせなかったとも伝えられている。残りは今なお発見されておらず、埋蔵金伝 説となっている。 |
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