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【2025/06/04 06:04 】 |
滝川一益
・滝川一益(たきがわかずます)

信長に仕え、関東管領にまでなった甲賀忍者。近江甲6445568b-s.jpg

賀の大原や滝城の生まれといわれている。父・一勝は

甲賀忍者の伴氏の流れを汲み、一益は少年時代から

鉄砲に長けていたという。尾張へ流浪した後、信長の小

姓として仕える。伊勢攻略での功績を手始めに、長島

城攻防戦からは水軍を指揮し、海戦で活躍している。関

東管領にまでなった一益だが、本能寺の変以後衰退の

一途を辿り、天正14年に病没した。
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【2009/01/06 19:44 】 | 忍者列伝 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
城戸弥左衛門
・城戸弥左衛門(きどやざえもん)

「萬川集海」の中の伊賀忍術名人十一人の一人。伊賀音羽を本拠とし、音羽の

城戸とも呼ばれていた。二度も信長を狙撃したとされている。一度目は石山本

願寺攻めの時であり、二度目は天正伊賀の乱の時である。しかし信長の運が

良かったのか二度とも失敗し、配下の裏切りで捕まってしまう。一度は脱走した

が、逃げ切れぬと知って自害した。
【2008/12/27 23:53 】 | 忍者列伝 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
杉谷善住坊
・杉谷善住坊(すぎたにぜんじゅぼう)

甲賀の名門「甲賀五十三家」のひとつに挙げられる、杉谷家の出身。甲賀随一の鉄

砲射撃の名人だった。善住坊の鉄砲は、鉛玉を二発込めた“二つ玉”という鉄砲であ

ったという。「常々翔鳥を外さず打ち取る者」といわれていた善住坊が六角義賢に依

頼され、織田信長を狙撃したことで有名である。しかし狙撃に失敗し、逃げ延びたが

後に捕まり、信長に極めて残忍な刑を受け命を絶った。
【2008/12/27 00:32 】 | 忍者列伝 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
望月出雲守
・望月出雲守(もちづきいずものかみ)

平将門の乱で活躍した伝説的英雄、甲賀三郎の子孫といわれる。煙術を得意とし、

甲賀忍者の名を天下に轟かせた「鈎の陣」の戦いで功績をあげた。「伊賀服部に甲

賀望月」という言い回しがあるように甲賀屈指の名家である。甲賀市甲南町竜法師

に望月出雲守の屋敷が現在まで残っており、甲賀流忍術屋敷として一般公開され

ている。
【2008/12/26 03:20 】 | 忍者列伝 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
諸澄九右衛門
・諸澄九右衛門(もろずみきゅうえもん)

甲賀出身の忍者で、武田の埋蔵金の一部を探し出したとして知られている。また

織田信長を狙撃した、杉谷善住坊の兄ともいわれている。本能寺の変が起き、機

内にいた穴山信君は落ち武者狩りで打ち取られてしまう。その時信君を捕えたの

が九右衛門であった。その時信君の懐中から、埋蔵金の在り処を記した手稿を手

に入れた。後に昔の仲間に殺されてしまうが、埋蔵金が巨額であったため一部しか

運びだせなかったとも伝えられている。残りは今なお発見されておらず、埋蔵金伝

説となっている。
【2008/12/24 22:27 】 | 忍者列伝 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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