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・天武天皇説
服部半蔵が書いたとされる『忍秘伝』や『萬川集海』に、天武天皇が忍びを使ってい たと書かれている。大和の出身で、その名を「多胡弥(たこや)」という。清光親王が 逆心して山城の国愛宕郡の城に籠城したとき、多胡弥を場内に忍びこませ放火させ 、同時に外からも攻め込み、見事城を落城させたという。 |
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・神代説
『古事記』『日本書紀』以前の神話の時代より、忍者がいたという説がいくつかある。 高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が無名雉(ななしきじ)に命じて、連絡の無い相 手の様子を探らせたのが忍術の始めという説。 速須佐之男命(はやすさのおのみこと)が、八岐大蛇を退治するとき、生贄の櫛名田 比売(くしなだひめ)を爪の形をした櫛に変えて大蛇を討ったのが、最初の忍術とい う説。 神武東征のとき、夢で天香具山(あまのかぐやま)の土で神器を作れば戦勝すると のお告げがあり、配下の椎根津彦(しいねつひこ)を老人に、弟猾(おうとかし)を老婆 に変装させて敵軍をごまかし、首尾よく土を手に入れたのが最初という説。 |
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