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【2025/06/04 06:20 】 |
楠正成説
・楠正成(くすのきまさしげ)説

『太平記』で有名な正成は後醍醐天皇のもとで、少ないre19x3x02.jpg

手勢を率いて北条方の大軍と戦った。その中でも“千早

城”の攻防戦は有名で、多くの奇策を用いて敵軍を翻弄

している。その他にも『太平記』の中に、本間三郎という人

物が暗殺された時のくだりで、“細人(しのび)”が暗殺し

たとの記述がある。建武新政の立役者だけあって、楠正

成を開祖とする武術は数多くあり、剣術・槍術・縄術・居

合術・鎖鎌術・柔術などがある。もちろん忍術もあり“楠流忍術”という。
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【2009/02/12 23:34 】 | 始まりの忍者 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
源義経説
・源義経説

最も有名な忍術伝書の一つである『正忍記』に「日本のimg7548de0bzikdzj.jpg

忍びは古くよりその名在りと云えども、之を知る事は源

平の頃、源九郎義経、勇士を選んで之を用ゆ」とある。

具体的な記述はないが、義経は幼い頃、京の鞍馬寺に

預けられ“鬼一法眼”という修験者から、武術の指導を受

けた。その武術の中に忍術も含まれていたという。後の

“武蔵坊弁慶”との出会いの場面や、源平合戦のときの

“ひよどり越え”などは忍者らしいエピソードといえる。
【2009/02/04 20:47 】 | 始まりの忍者 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
天武天皇説
・天武天皇説

服部半蔵が書いたとされる『忍秘伝』や『萬川集海』に、天武天皇が忍びを使ってい

たと書かれている。大和の出身で、その名を「多胡弥(たこや)」という。清光親王が

逆心して山城の国愛宕郡の城に籠城したとき、多胡弥を場内に忍びこませ放火させ

、同時に外からも攻め込み、見事城を落城させたという。
【2009/02/02 21:01 】 | 始まりの忍者 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
聖徳太子説
・聖徳太子説

ある忍術伝書によると、聖徳太子は「志能便(しのび)」と呼shoutokutaishi_3_thumb.jpg

ばれる人々を使っていたと書かれている。587年に厩戸

皇子が曽我馬子とともに、物部守屋を滅ぼした時に、志能

便を使ったという。『日本書紀』の推古天皇10年のところに

、この年に“遁甲術(とんこうじゅつ)”が日本に伝えられたと

の記録がある。遁甲とは兵法の一種で、身を隠したり、敵

から逃走する術であるとされており、忍術の源流の一つと

もいわれている。
【2009/01/27 20:16 】 | 始まりの忍者 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
神代説
・神代説

『古事記』『日本書紀』以前の神話の時代より、忍者がいたという説がいくつかある。

高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)が無名雉(ななしきじ)に命じて、連絡の無い相

手の様子を探らせたのが忍術の始めという説。

速須佐之男命(はやすさのおのみこと)が、八岐大蛇を退治するとき、生贄の櫛名田

比売(くしなだひめ)を爪の形をした櫛に変えて大蛇を討ったのが、最初の忍術とい

う説。

神武東征のとき、夢で天香具山(あまのかぐやま)の土で神器を作れば戦勝すると

のお告げがあり、配下の椎根津彦(しいねつひこ)を老人に、弟猾(おうとかし)を老婆

に変装させて敵軍をごまかし、首尾よく土を手に入れたのが最初という説。
【2009/01/23 21:57 】 | 始まりの忍者 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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